August 16, 2006

靖国神社

8月15日は61回目の「終戦の日」である。またぞろ靖国神社の参拝が外交問題となりそうだ。中国などに進出している企業からすれば頭痛のタネだろう。私は13日付け読売新聞の企画のように『指導者責任』(外国の民間人に危害を加える流れを作った人を中心とすべきかと)を日本人自らが検証し、対象となった人を海外に向けて「靖国神社から名前を他に移した」と言えばいいと考えてます。

神道というのは宗教法人の適用対象となっているものの、世界的な基準で言えば宗教と違うモノである。なにしろ教祖や教義、教典(戒律)が無いのだ。人はもちろん山や川や動物、虫までも神様になれるのだから。もっと言えば神社で拝むモノは何でもいい。拝むこと=自分を生き方を神様に評価してもらおうということ何だと思う。実際、多くの人は神社で「何」を拝んでいるのか解らないんじゃなかろうか。

これを宗教と言ったら、拝む対象が常に同一であるクリスチャンもブッディストもムスリムも信じないと思う。というか教祖や教典を持つのが宗教なのである。原始的な宗教(多神教)と言われるヒンドゥーでさえ「シヴァ」や「インドラ」等々が。ギリシャ神話も「アポロン」「ゼウス」等々という”神の資格を持っていそうな”神を崇拝する。おそらく「神のハードルの低さ」からすれば神道がダントツ世界一かと。

日本人のライフスタイルの基礎となっているのは、先住民族であるアイヌの人(日本の広域に住んでいた縄文人の末裔と言ってもよかろう)が伝えてきた『ユーカラ』の考え方に近いと思う。簡単に言えば『共存共栄』の考え方だ。ユーカラの神様の大親分はキリスト教で言う『創造主』。ムスリムの『絶対神』のようなもので、宇宙そのものである。神道も近い。したがって人間も動物も山も海も仲間。熊に食べられた鮭が「熊を恨む」という観念そのものからして存在しない。

神道の概念からすると靖国神社は「戦争で亡くなった方々の原宿」みたいなもの。しかも神道って「厳格ながら明るい」。お酒飲んでお祭りすることを「是」とする。クヨクヨしちゃアカンと言っているワケです。けれど日本に反発する海外の人からすれば、神社=自分たちが考える宗教だと思っている。つまり中国や朝鮮半島などで大勢の一般市民に危害を与えるよう扇動した人を、ブッダやキリストの如く尊敬してると考えるワケ。

そこまでいかなくても、神道を多神教の一種として理解している外国人ならシヴァやアポロンみたいな存在になっていると考えることだろう。こらもう「拝んでくれるな」と言いたくなる気持ちは解ります。神道には数年前まで「分祀」という概念ばかりか単語さえ無かったこともあり(そもそも御霊は自由な存在)、前出の通り海外に向けては「神様のリストから転籍した」という解釈をすればいいと思う。新しい神社は遺族の方が選べば良かろう。

いずれにしろ今のままだと若い人たちにとって靖国神社は悪いイメージを持たれてしまう。これこそ先の大戦で亡くなった方からすれば残念なことだろう。ちなみに私の祖父は高知県香我美郡にある『若一王子宮』の宮司。ヨメの祖父は練馬区上石神井の御岳神社の宮司というバリバリの神道派だけにイメージ悪化が悲しい。さらなる先祖を遡れば、私は騎馬民族と海洋民族の血が濃そう。ヨメは縄文人と弥生人のミックスか。終戦の日を前に、そんなことを考えるのも亡くなった方への供養になると思う(これ、仏教のコンセプトです)。

Posted by kunisawa at August 16, 2006 10:50 AM | トラックバック